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2分でわかる「日露戦争」 日露戦争で最も儲けた男と勲一等旭日大綬章

2分でわかる「日露戦争」 日本を支えたユダヤの金

 当時、欧米列強は植民地主義の真っ只中、アジアでもアヘン戦争に明らかなように、清(チャイナ)や朝鮮を植民地化して権益を得ようとしていたお。
 1895年(明治28年)3月、日清戦争で日本が勝利して、列強の一角に日本が登場してきたことに、欧州人にとっては大きなサプライズだったお。

 1895年(明治28年)4月23日にフランス、ドイツ帝国、ロシア帝国は、日本の勢力拡大が面白くなく、自分たちの権益が侵されることを不満に思い、日本と清の間で結ばれた下関条約に基づき日本に割譲された遼東半島を清に返還しろ!と、難癖つけてきたお。
 これが有名な「三国干渉」だお。

 主導者はこいつ。
ニコライ2世
ニコライ2世(ロシア)

 とこいつ。
 ヴィルヘルム2世
ヴィルヘルム2世(ドイツ)


 当時の日本には、フランス、ドイツ、ロシアら全員を敵にまわして戦争する国力は当然なかったので、泣く泣く遼東半島を清に返したお。

 ところが!
 
 1898年ロシアは露清密約を結び、日本が手放した遼東半島の南端に位置する旅順・大連を租借し、旅順に太平洋艦隊の基地を造ってしまったお。

旅順
旅順・大連

 1900年に清で「義和団の乱」という事件があって、混乱収集の名目でロシアは満州地方に進軍したお。
 日本は、米英と一緒に抗議して、ロシアも撤兵を約束したけど、約束破って駐留しつづけたお。

 ここでイギリスが「おいおい、ロスケ。お前の好き勝手にはさせないぞ」と、日英同盟を結んでくれたお。

 これに対し、日本ではロシアと戦争すべきだという意見(小村寿太郎、桂太郎、山縣有朋ら)が出てきたお。戦争は回避すべきという意見(伊藤博文、井上馨ら)もあったけど、最終的には戦争することにしたお。当時の新聞も主戦論が多く、日清戦争に勝利した余韻と勢いに酔いしれた日本国民もイケイケどんどんな世論だったお。

 でも、ロシア相手に戦争するには、膨大な軍事費が必要で、その額は当時の国家予算1億7000万円の6倍が必要と見積もられていたお。
 そこで日本政府は国債を発行して、外国に買ってもらおうとしたけど、日本がロシアに勝てるはずがないと、誰も買ってくれそうになかったお。

 その日本の外債セールスの実務トップは、日本銀行副総裁の高橋是清という人だお。

高橋是清
高橋是清

 高橋是清は日本の公債の買い手を求めて絶望的な気持ちで欧米を駆け回っていたお。
 すると、ロンドンで日銀創立の功労者であったシャンドと出会い、ユダヤ系投資銀行「クーン・ローブ商会」を率いるヤコブ・シフを高橋是清に紹介してくれたお。
 日清戦争に引き続き、またユダヤ人が日本に資金援助してくれたお!

shand.jpg
シャンド

ヤコブ・シフ
ヤコブ・シフ

 なんと、ヤコブ・シフのクーン・ローブ商は2億ドル(現在の1兆円くらい?)の公債を引き受けてくれたお!

 どうしてこんなに日本に良くしてくれるのか?ヤコブ・シフにもそれなりの考えがあったお。
 言われているのは、当時のユダヤ人はロシアで虐待、虐殺されていて相当ロシア帝国が憎かったらしいお。だから、日本に資金援助して、ロシアと戦争して勝ってほしいと、思っていたらしいお。
 実際、高橋是清の自伝に、
「ヤコブ・シフは、帝政ロシアのもとで、ユダヤ人は差別を受け、国内を自由に旅行すら出来ず、圧制の極に達していた。そこで、日本に勝たせ、ロシヤの政治に一大変革を起こし、ユダヤ人がその圧制から救われることを期待していた」と述べているお。
 敬虔なユダヤ教徒であったヤコブ・シフも
「私はロシアにおけるユダヤ人虐殺に、深く憤っていた。ロシア帝国に対して立ち上がった日本が、ロシアを罰する“神の杖”であるにちがいないと、考えた」と述べているお。
 

 ユダヤ人虐殺=ポグロム

ポグロム

 ロシアは歴史を通じて、反ユダヤ主義が最も盛んだった国で、歴代の皇帝はロシア正教に改宗しようとしないユダヤ人を圧迫した。19世紀末から20世紀初頭にかけて、帝政ロシアでは激しいユダヤ人虐殺(ポグロム)が進行したお。

 1904年2月 日露戦争勃発
 1905年9月 日本勝利


 この頃のロシア帝国は・・・・

 日露戦争での苦戦が続く1905年には首都サンクトペテルブルクで生活の困窮をツァーリに訴える労働者の請願デモに対し軍隊が発砲し多数の死者を出したお(血の日曜日事件)。
 この事件を機に労働者や兵士の間で革命運動が活発化し、全国各地の都市でソヴィエト(労兵協議会)が結成されたお。
 また、黒海艦隊では「血の日曜日事件」の影響を受け戦艦ポチョムキン・タヴリーチェスキー公のウクライナ人水兵らが反乱を起こしたお。
 その約半年後同様にしてウクライナ人水兵らが反乱を起こした防護巡洋艦オチャーコフでも、戦闘ののち反乱勢力は鎮圧されたお。
 この時期、ロシア中央から離れたセヴァストーポリやオデッサなど黒海沿岸諸都市やキエフなどで革命運動が盛り上がりを見せたお。

 上記のような、ロシアにおけるソヴィエトや共産革命運動が、ヤコブ・シフのようなユダヤ金融に援助されたいたという指摘もあるお。つまり、ソビエトはユダヤ人がつくったということだお。
 一部には、ユダヤ陰謀論(笑)だと馬鹿にする人もいるけど、戦争や歴史は陰謀だらけだお。

 日露戦争で東洋の島国・日本が勝利すると、全世界のユダヤ人が狂喜乱舞したお。
 イスラエルの国歌「ハ・ティクヴァ(希望)」の歌詞を書いたユダヤ詩人ナフタリ・インベルは、日本勝利の報せをきいて、明治天皇と日本国民を称える詩を発表したお。

 ナフタリ・インベル
ユダヤ詩人ナフタリ・インベル

 有名なミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』の原作者であるユダヤ人文学者シャローム・アライヘムは、1905年にワルシャワで「日露戦争」に題材をとった喜劇を発表し、日本の勝利を称えたお。

シャローム・アライヘム
シャローム・アライヘム

またもやユダヤ人に勲一等旭日大綬章

 日本政府は、「日露戦争」勝利の功績に報いるため、1906年にヤコブ・シフ夫妻を日本に招待し、明治天皇が午餐会を催したお。
 そして、サミュエルと同じ勲章「勲一等旭日大綬章」を与えたお!!
 明治天皇が民間人である外国人に陪食を賜ったのは、シフが初めてだったお。

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勲一等旭日大綬章


 ヘブライ大学のユダヤ人教授ベン・アミー・シロニー博士は、「日露戦争に関与したユダヤ人」について次のように述べているお。

 「19世紀末、ロシアではポグロム(ユダヤ人迫害)の嵐が吹き荒れていた。ポグロムは、ロシア政権の奨励と黙認により、押し進められていたのが現状だった。1894年に政権を握った皇帝ニコライ2世は、彼の政権を脅かすほどの民衆の不信感に直面していた。その打開策として、彼は民衆の怒りを『内の敵(ユダヤ人)』と『外の敵(日本人)』に向けようとした。」

 「1904年、日露戦争が勃発すると、ヨーロッパのユダヤ資産家は、ユダヤ人を敵視していた帝政ロシアへの援助を拒否した。この資産家たちの中には、『シベリア鉄道』へ多額の援助をしたフランスのロスチャイルド卿も含まれていた。ロスチャイルド卿がロシアのために働いたのは、戦争で負傷したロシア人を援助する機関に寄付することにとどまった。ロシアに対する態度とは対照的に、他のユダヤ人資本家たちはみな日本を援助した。」


 1905年アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の仲介で、
ポーツマス講和会議が開かれたお。


26代米大統領セオドア・ルーズベルト
セオドア・ルーズベルト

 南満州鉄道の権益をめぐって、日本と秘密取引のために、ポーツマスで日露の講和会議が開かれている最中、ロックフェラー家と関係の深いアメリカの鉄道王エドワード・ハリマンが、クーン・ローブ・グループの代表として来日したお。
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エドワード・ハリマン


 日露露戦争は20世紀初の近代戦争で、二国間のみならず帝国主義(宗主国)各国の外交関係が関与したグローバルな規模を持っていることから、第0次世界大戦と言われているお。
 また、日露戦争後の南満州鉄道の処理が、のちの大東亜戦争の火種となるのであった・・・おっおっ。

 日露戦争に勝利してもロシアから賠償金が取れなかった大日本帝国は、ジェイコブ・シフのクーン・ローブに対して金利を払い続けることとなったお。えええええー!

ポーツマス講和会議

 この時代、戦費調達のために増税につぐ増税で苦しんでいた国民は、賠償金がとれないことに不満を爆発させて、暴動騒ぎを起こしたお。

1905年9月5日 日比谷焼き討ち事件

 不満を持った国民は、東京の日比谷公園で大集会を開いたお。群衆は集会を解散させようとする警官と衝突し、政府高官の家や新聞社、交番、電車を焼き打ちにしたので、制圧のために日本政府は軍隊を出したお。
 東京は無政府状態となり、戒厳令がしかれたお。
 この騒動の死者は17名、負傷者は500名以上、検挙者は2000名以上にも上ったお。
 戒厳令は11月29日まで続いた。
 

 「日露戦争で最も儲けた」シフは、ロシア帝国のポグロム(反ユダヤ主義)への報復が融資の動機といわれ、のちにレーニンやトロツキーにも資金援助をしたお。。。。


 日本国民は、戦争に勝ったのに賠償金をとれなかった小村代表を「国賊小村」と呼んだお。

小村寿太郎
小村寿太郎 ポーツマス講和会議日本代表


1905年10月12日

 小村がポーツマス講和会議に出席しているときに、ハリマンは、桂首相や伊藤博文らに話をつけて、南満州鉄道の日米協同経営の予備協定を結んだお。

桂太郎 首相
桂太郎首相

 帰国した小村は、唯一の戦利品である南満州鉄道を半分失うことに激怒して怒り狂ったお。
 国民に「国賊小村」と呼ばれていることを知っていたのか、必死なってハリマンとの協定を破棄させてしまったお。 

 るんるん気分でアメリカへ帰国する船上の人だったハリマンをサンフランシスコで出迎えたのは、「予備協定」破棄という日本からの電報だったお。
 今度はハリマンが烈火のごとくに怒り、「日本は十年後に後悔することになるだろう!」と怒鳴ったお。
 ハリマンは、ただちに翌年の8月に腹心のウィラード・ストレイトを奉天領事に送りこみ、徹底して日本の利権とアメリカ人の利権とを衝突させていったお。


 これが太平洋戦争に発展したんだお。


1941年12月8日

パールハーバー


1945年8月6日
原爆雲

原爆





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[ 2013/02/02 21:34 ] 歴史 | TB(0) | CM(0)

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